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関西宝連後記

総人1回生のHです。去る12月17日に「関西宝生流学生能楽連盟自演会」、通称「関西宝連」がありました。この会は名前の通り関西の宝生流の能楽部を持つ9つの大学と高校(今回は6大学)が、普段の稽古の一つの目標として各人2~3分ほどの舞と、15分程の謡を出している催しです。稽古したことのない仕舞や、師匠・先輩方の仕舞を見ることができる貴重な機会でもあります。そこでの感想を残しておこうと思います。



能楽の舞台に行くときは、紋付・袴・帯・足袋・扇に加え、下に着る襦袢、袴が上がらないようにお腹を盛る(!)ためのタオルなど、様々な持ち物を用意します。そして受付をすることもあるため、基本的にスーツを着ていきます。私はいつも時間ギリギリで生きているので、家から直接向かうと遅刻する危険があると思い、一度box(稽古場)に寄り、OBの方に稽古をつけていただいてから大江能楽堂へ向かいました。場当たりという、事前に座る位置や舞台の広さを確認する時間があり、その後紋付袴を着付けていただきます。最初は先生方の仕舞を全員で拝見し、その後学生の仕舞・連吟です。私は、舞台への戸を開閉する切戸係であったので、あまり他大学の方々の仕舞を見ることができず、うずうずしていました。


自身の出番について多くは覚えていないのですが、一つ、連吟において私が間違えた詞を謡いかけた時、皆がそろった声で謡っていたシーンは、印象に残っています。普段の稽古の時、私は正しく謡うのに必死で自分の声に意識の大半を割いていて、地頭や周囲の声はあくまで「合わせる」ために聞くのです。しかし本番では、いつもより周りの声を意識して謡っています。自信のなさの表れだとか、結果間違っているではないかというご指摘はあるかもしれませんが――。とにかく、私の声が消えた時、一緒に稽古をしてきた同期の声は、私の間違いなどでは揺らがない強い流れとしてそこにありました。


仕舞では、拍子を踏む足を逆にしそうになったり、舞う人の袴を直しに行こうか迷いに迷ってあきらめたりといった小さな学びがいくつもありました。こうした小さな失敗の積み重ねで、少しずつ「先輩」になっていきたいものです。


仕舞が終わった後は、京大宝生会の出演者で能楽堂の前で写真を撮り、その後他大学の仕舞を見所で鑑賞しました。卒業仕舞を舞われた神戸大学の小林さん、そして先生方の仕舞は、私たちの仕舞とは比ぶべくもありませんが、とにかく感じるのは「重さ」です。

これは物理的な質量がどうだという話ではなく、重いものを持ち運ぶときに重心が上下にふらつかないように、運びに揺らぎのない舞からはまるで舞手の中に何かとても強いもの、よく言われる「芯」のようなものを感じるということなのです。その芯は、稽古の積み重ねの累積によるのでしょうから、同じように舞うのは無理かもしれませんが、少しでも近づきたいと感じます。


最後に少し後席の話をします。今回は京大だけでなく、神戸大学、同志社大学、羽衣国際大学、大阪大学と合同で、交流会のようなものを行いました。来てくださった先生やOBの方々からのコメントをいただき、その後食事をしながら今日の舞台についてや普段の稽古についての話をしました。能以外の話を振る勇気はなかったのですが、それでも他大学の人たちの雰囲気のようなものを感じられて、居心地の良い会でした。


今回の一番大きな収穫は、自分の舞台以外に目を向ける余裕ができたことでしょうか。次の舞台は、来年の6月の関西宝連になります。そこでは、後輩の舞台に目を配れるように、精進していきます。

1件のコメント

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Saya SEIKE
Saya SEIKE
Dec 30, 2023

がんばろー! S

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