こんにちは。農学部のジョッキーです。
僕が京大宝生会に入ったとき、はじめに習った謡は、能の謡の基本が一通り入っているとされる『鶴亀』でした。新年の祝賀の様子を描写し、終始おめでたい感じに満ちた曲で、やっぱり能は儀式的なもので、堅苦しいのかなと思ったものです。
しかしその次に習った曲、『三山』という曲がとても人間臭くて、衝撃を受けました。簡単に言えば、不倫された女性が浮気相手に復讐するという話で、ドロドロとした愛憎劇が、能でもこんな話があるんだと驚きました!
今回はそんな『三山』の物語をご紹介したいと思います。
能『三山』は、万葉集にある、
香久山は 畝傍を惜しと 耳成と相争いき 神代より かくなるらし 古も しかにあれこそ うつせみも妻を争ふらしき
という、奈良の橿原市にある香具山・耳成山・畝傍山の大和三山の恋の争いを描いた歌を骨子とし、同じく万葉集にある桜子、桂子伝説をおりまぜて作られたお話です。
香久山に住む男が、元々は耳成山に住む桂子という遊女、そして畝傍山にすむ桜子という美女の二人のもとに通っていたが、美しい桜子に心なびいて、桂子のもとへは来なくなってしまいました。それに悲観した桂子は池に入水してしまいます。
『三山』の最後では、桂子が桜子に復讐する場面が描かれます。後妻打ち(うわなりうち)といって、前妻が後妻を打ち据えたり、嫌がらせをするという風習が室町時代から江戸時代にかけて存在しました。桂子は桂の枝を持って桜子を打ち据えるのですが、ここの詞章が僕はとても好きです。
桂乃立枝を折り持ちて 耳無の山風松風春風も 吹き寄せて吹き寄せて 雪と散れ 雲となれ桜子 花は根にかへれ
花に伏して吠え叫びなやみ乱るる花心 畝傍乃やまふとなりし 因果の焔乃緋桜子 さてこりやさてこりや
訳:
後妻打ちをしようと桂の枝を折って、耳無の山風も松風も春風も皆吹き寄せて、花(桜子)は雪とも雲ともなれ、花は根に帰るものだ
(桜子は)吠え叫び、悩み乱れて病のようになり、因果の火に燃えるのを見ると、又は緋桜か。さあ懲りよ、ああ見るもおかしい。
桂子が桜子に復讐する様子を、桜の花が風に吹かれて雪のように散っていき雲のように消えてしまうと表現しているのがとてもおしゃれですね。謡の方でもここは音程の上げ下げが激しく、運びもよくて、ここがクライマックスだとひしひしと感じさせてくれます。
浮気は良くないですね。
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